スピリチュアル 北の国から 024:杵次「木の声。倒される。木は倒されるとき大声をあげる」

スピリチュアル 北の国から 024:杵次「木の声。倒される。木は倒されるとき大声をあげる」

杵次「この奥に古い切り株がまだあろう」

純「ア、ハイ」

杵次「五百年はたっとった。桂の大木で。わしらが鋸できり倒した。そりゃあほえるようなすごい声たてた」

純「――」

杵次「まだあの声は――耳についとる」

純「声って――何の声?」

杵次「木の声。倒される。木は倒されるとき大声をあげる」

純。

杵次「殺生もずいぶんした。――そうして開いた。――一反開くのに何年かかったか」

純「――」

杵次「わしらと――馬と――。そまつな道具と」

以上、引用は、倉本 聰 (著)『定本 北の国から』P98-99より

 

500年も続き、そしてまだ続くはずのその生命を、人間と呼ばれる生命体は、自分の都合で、その命を絶つ。
その瞬間、木はどのような感情を抱いたのだろう?

 

せいぜい100年の命しか持たぬ人間が命の大先輩である500歳の木を切る。
そこにはどんな意味があるのだろう。

 

わたしはしゃぶしゃぶが好きでよく食べるが、それは

 

誰かが育て、誰かが殺し、誰かが細かくし、そして誰かが店まで運んでくれたから
「おいしい、おいしい」と言って食べることができる。

 

この部分を読んでいて、そんなことを考えました。